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最近あいつが変なんだ。東雲がそんなことを言い出したのは、確か今月の頭のことだろうか。 理介(まさよし)は心の中でそう吐き出すと、バイオリンを練習する手を止めた。無事に受験を終えた理介を邪魔するものは、今のところない。 理介と東雲は所謂腐れ縁だ。同じ学校を受験する上で勉強会を開くほどの交流はあるが、プライベートな面に関して話を聞いたことはない。だが、そんな東雲が珍しく理介にプライベートな話を話してきた。曰く、あいつが変だ、と。 何よりもバイオリンを一番としてきた理介と違い、東雲には特に一番大切なものはない。今強いて言うなら、それは付き合っている彼女だという。理介に面識はないが、同学年であることと成績において副首席であることは知っていた。 だが、それ以上何も知らない彼女の話をされたところで、理介には正直どうでもいい話である。自分に関係があるのならばまだしも、話を聞く限り関係があるとは思えないのだ。 「理介?どうしたの?練習は?」 家に理介以外誰もいない、という理由から思う存分羽を伸ばしているヴェルトリード、もといヴェルが練習の手を止めた理介に声をかける。羽を伸ばしているのは、文字通りの意味だった。 ヴェルは悪魔である。本来ならばこうして人間界に姿を現すことはない。必要がないからだ。ところが諸事情を抱えたために人間界に降りるしかなかったのである。諸事情については割愛。 不思議そうに首を傾げ、羽がなければ人間そのものにしか見えない仕草。その姿に理介は小さく苦笑した。自分より何倍、何十倍と生きている筈なのに、少しもそれを感じさせない。 「ちょっと、なあにその苦笑い?」 「ごめん、なんでもない」 気に障ったのか問いかけてくるヴェルに、理介はただ素直に謝辞を述べた。社交辞令のようなものだが、ヴェルはそれで十分納得の意を示すのだから、それでいい。 理介はヴェルの方を見ると、手に持っていたバイオリンを近くの台に置く。どうやらヴェルは休憩の意も込めて理介に問いかけてきたようだ。持ってきたティーセットとお菓子がそれを如実に表していた。 「休憩するよ」 「ん、もちろんよ。家族皆出掛けてから一回も手を止めてないじゃない」 そう言ってティーセットと菓子を近くのテーブルに置き、人差し指を一振りする。同時に勝手に動き出すポットやカップ。何度も見ている光景だが、やはりそう簡単に慣れるものではない。 二人が席に着くと、ヴェルは口を開いた。 「で?」 「練習を一旦止めた理由?」 「そう」 「くだらない理由だよ」 「でしょうね。でもくだらない理由だからって、会話の一端にならないほどつまらないわけでもないでしょう?」 悪魔にしては人間くさい。それが理介の正直な感想だった。確かに会話の一端を担えないほど、つまらない話ではない。もしそうなら理介は話をする気すら起きないのだ。 付き合いが長くなってきたからかな。素直にそう思って理介は話の口火を切り出した。 「東雲覚えてる?」 「東雲?ん―――…」 「ハロウィンに会った人」 「…あぁ!あの子ね!あれでしょ確か、惑わしやすい子」 「そういう覚え方もどうかと…」 「だって興味沸かないんだもんあんまり」 注ぎ終えた紅茶に口をつけながら上目遣いにそう言う。理介としては興味が沸かれても困るところだが、あまりいいとは思えない覚え方をされても嬉しいと思えない。しかし、覚え方に関しては今更でもあった。ヴェルと同様に紅茶を口に含み、理介は話を続ける。 「まぁともかく、その東雲が今月初め、妙なこと言ってて」 「妙?」 「『最近あいつが変なんだ』、て」 「あいつって?」 「東雲の彼女。僕もテストで二位を常にキープしてるってくらいしか知らない」 「一位じゃないんだ?」 「うん。努力家みたいだけどあと一歩及ばないんだよね、いつも」 そんな他愛ない話を続けるも、中々本題を切り出さない。ヴェルはそういった回りくどい会話の流れが嫌いだったが、それでも話を聞いていられるのは理介が話し相手だったからだった。 「で、何がどう変なのか聞いたんだけど、避けられてるらしい」 「避ける?嫌いになったってこと?」 「さぁね。でも、それが今月初めの話なんだし、ってさっき考えてたんだよ」 「…答えが出たの?」 「なんとなく。女の子ってイベント好きみたいだし、それでかな?ってね」 「あ―――、そうね。好きなんじゃない?」 「じゃあそんなヴェルに問題です。今月ある、女の子が好きなイベントとは一体なんのことでしょう?」 「え―――?」 菓子に手をつけつつ理介はにこりと微笑んだ。ヴェルは首を傾げて考えモードに入った。とはいえ、人間の作り出したイベントなんぞに大した興味を持たないヴェルは、真面目に考える気はあまりなかった。 「ヒント!」 「そうだな…。最近テレビでも特集やってたかな?」 悪戯げな光をその目に宿す理介。ヴェルは理介の言葉によって漸くなんのことか理解できた。今月は二月で、今はその半ばだ。 「バレンタインね!」 「そういうこと」 「じゃ東雲の彼女が避けるように行動してたのって…」 「十中八九それのせいじゃない?」 「へぇー…人間の女って変なのー」 菓子をつまんで食べるヴェルの仕草を見ながら、理介は小さく笑った。悪魔にしてみれば準備をしてまで贈り物をする習慣はないのだろう。不思議に思っても当然なことだった。 静かに咀嚼しながらヴェルは思う。理介はバレンタインなど気にしないのだろうか、と。そもそも理介は人間で、ヴェルは悪魔だ。感性の違いがあるのだから、そういったことに関しても違うのかもしれない。だが今の会話の流れでは、どうもイベントを気にしているような気がしないのだ。 「理介…」 「うん?」 「バレンタインの贈り物欲しい?」 「なんで?」 「人間なんだし欲しいかなって」 「じゃあちょうどいいから覚えてヴェル。人間誰しもイベントを気にするわけじゃないよ。人によってはイベントを蔑ろにする人間だっている。人間と悪魔の感性が違うように、人それぞれも感性が違うんだ」 「…ん」 理介の説明にヴェルは頷く。ヴェルにとって理介は先生のようなものだ。人間界において理解できないことは、大概聞けば教えてくれる。 「あれ?」 唐突に二人の時間を裂くような音がした。玄関の呼び鈴だ。残念ながら家はインターホンを備え付けていないため、直接出るしかない。 理介は説明を受けて静かになったヴェルをその場に残すと、玄関に向かい声をかける。返ってきた声は家族のそれでなく、噂をしていた当人のものだった。 「なんだよ東雲。期末の範囲ならこの間教えただろ」 「ちげーよ。まぁ聞いてくれって」 玄関の扉を開け適当な対応をすると、東雲は少し泣きの入った表情を見せた。バレンタインのチョコを貰ったにしては随分な顔をしている。 「小西の手作りチョコが不味かった?」 「いや、美味かった。…でもチョコじゃなかった…」 「はぁ?」 「キムチだったんだよキムチ!まさか手作りキムチ作ってくるとは思わなかったんだ!」 「…キムチ?韓国の漬け物の?」 「そうだっての!」 小西の感性が疑われる。 思わず口に出そうになった言葉を呑み込んだ。チョコを渡すならまだしも、誰もキムチを渡してくるとは思うまい。しかも手作りで。 「…美味かったならいいんじゃない?」 「よくねー!俺の理想は恥じらった顔して『これ、手作りなの…。食べれると思うんだけど…食べれなかったら無理…しないでね…?』って言ってチョコ渡してくる姿だったんだー!」 「言われなかったんだ?」 「似たようなことは言われた!…けど…っ、キムチ渡してくる姿はちがーう!」 「はいはい」 「やっぱりあれか、あれなのか!俺がキムチ好きだって言ったからか?!」 「そうじゃない?」 最早呆れるしかない理介にとって、話の内容などどうでもよかった。考えることは二つ。近所迷惑だということと、練習を再開させたいということ。そのためには目の前の人物をどうするか、それが目下の悩みになった。 |
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